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環境倫理 × 公共信託論 × キリスト教

 何故か、環境倫理 × 公共信託論 × キリスト教でうちに来る人が多い。なので私が昨年学んだ事を軽くまとめて書いておく。

 そんな難しい情報をブログから得ようとしている時点で分かるだろうけど、ここの情報が絶対に正しいなんてこれっぽちも思わないでほしい。あくまで大学三年生の小童が半年学んだだけで分かった気になっている情報を自慢げに広げているだけだ。ウェブには間違った情報もいっぱいだ、というのはきっと常識だと僕は信じている。
気持ちとしては全ての語尾に "……と僕は認識している"、"……と思うよ"をつけて読むと良いと思う。もちろん、間違いの指摘等は大歓迎の限りである




そもそも公共信託論って何?


その前に環境倫理

 公共信託論がうんぬんを語る前に、 "環境倫理" ってのが何なのかを理解しなければならない。そもそも、環境問題って言葉を知っているだろうか? 君が既に小学校を卒業していれば社会科の授業で『水俣病』という言葉を聴いた事があると思う。『地球温暖化』がうんぬん、と難しい話をニュースで聞く事も多いだろう。そう、その環境問題だ。これを倫理するのが環境倫理だ。

 環境倫理ってのがあるのは分かった。それは何を主張しているのか。それは以下の三つだ。

  1. 地球は有限だよ! 全ての行動は他者の迷惑になるかもしれないね! (地球の有限性)
  2. 僕たちは僕たちの子供や孫が暮らしていけるように気をつけないと! (世代間倫理)
  3. 僕たちの子孫が困らない為には僕たちが不便するかもしれないなぁ! (生物種保護)

これらの主張はこれが登場した時はとてもおかしな主張だった。今でもそうなのか否かは読者の君が判断してほしい。とにかく、当時はおかしな主張だった。

 地球の有限性。それまでは石油は掘り放題、ごみは捨て放題。排気ガスは出し放題だった。それらは経済とは関係ない所にあったんだ。でも、この主張がまかり通るならばそれに対して税金を払わなければならない。 "外部不経済の内部化" って奴だ。これは同時に多くの自由だった事を制限する、"環境全体主義(エコファシズム)" の危険も持っているんだ。
でも、もちろん、そういった行動で損なわれる物にも価値がある事は忘れてはならない。大気やゴミ捨て場にだって色々な価値がある事を忘れてはいけないだろう。

 世代間倫理。これに対する反論としてよくあるのが参政権の例えだ。外国人参政権がうんぬんとかそういった議論があるけど、とりあえず『過去の人』や『未来の人』に参政権が与えられる事は決してない。もう死んだ人は投票できないし、まだ生まれてきていない人も投票は決して出来ない。少なくとも西暦2010年現在の常識ではそうなっている。政治は有権者の支持を受けて動く。つまり、政治は今の人の為だけにあるんだ。
しかし、もしも君に恋人がいたら考えてほしい。君と恋人の間の子供が君たちが死んだ後で困っているとしたら、それは悲しい事だろう。世代間倫理を無視することは膨大な借金を自分の子に残して死ぬのと同じ事だ。

 生物種保護っていうのはちょっと難しい話になってくる。人間の為に生き物を守るのか、生き物の為に生き物を守るのかという問題はまた分けて語られなければならないからだ。ここではその話は置いておくとして、どちらも生物を保護しようと言う話では一致している。でも、現在の法体系は人の為に作られているのは自明だ。それを考えると首をかしげざるを得ない。
君が近所の可愛い猫を守りたいかとか、君の子供が犬と遊べない未来を見たいかと尋ねられて首を縦に振るか否かは別の問題として、ね。


環境倫理が出て来た背景

 環境倫理って何だ、というのはなんとなくわかってくれたと思う。でも、それが何故そんなに変な物だとされたのか。それは人間中心主義、という背景があったからだ。その根源は西洋文明にあるとされている。人間が自分たちの利益だけをk名がえて自然を支配・利用するという文明の築き方だ。環境倫理はそれに対する反発・脱却とも言える。

 人間中心主義が西洋文明から起こったと書いた。西洋文明の根にあるのは何か。色々な論があれども、そこにキリスト教の名を挙げることに意を唱える人はいるだろうか? 僕はいないと思う。問題のキリスト教だけど、その経典である聖書の一番最初の方、ページにして2ページ目にはこう書いてある。

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ、ふえよ、地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」神は仰せられた。「見よ。わたしは全地の上にあって、種を持つすべての草と、種をもって実を結ぶ全ての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息あるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
創世記一章二六〜三十節より引用

君がミッションスクール出身だったとして上の文句を何も見ないで言えるほどだったとしても、上の文章を見て "創世記1:26-30だろ?" と言えるほどだったとしてもとりあえずは聞いてほしい。上の引用部分で支配、という文字だけを赤く着色した。環境によっては着色されていないかもしれないが、 "すべての生き物を支配" という文句が出てきているのは分かると思う。これが問題になったんだ。
この支配、というのを環境倫理学者は『人間が自然を好き勝手に使うことへの正当化だ』と非難したんだね。確かに、聖書は人だけを神の似姿として描いている。聖書では人は特別な生き物なんだ。そこから人間中心主義が出てきたんじゃないか、という推測はある意味当然の推測だ。


本題、公共信託論

 ようやっと公共信託論の話に入れる。公共信託論は上の様な話を受けて出て来た新しい論だ。1970年代初頭にアメリカの偉い法哲学者であられる Joseph Sax 先生が人間は未来世代のため、あるいは自然自体の為に環境を保護する事を信託されていると主張したんだ。これが公共信託論。つまり "人は自然を守る事を託されているんじゃあないかッ!! 俺達の子供と自然の為にッ!"って考えだ。


そこからの発展


環境倫理の問題

 僕はこの文章を日本語で書いている。読んでいる君は少なくとも日本語を解する人だと思う。十中八九、日本に住んでいる人だろう。君は他の国に行った事があるだろうか? アメリカ、うん豊かな国だ。オーストラリア、うん良い国だった。でも、発展途上国に行った事がある人はあまりいないのではないだろうか?

 上の環境倫理は先進国で出た議論だ。これをもしも発展途上国に当てはめたらどうだろう。発展途上国はお世辞にも豊かとはいえない国だ。物質的にはもちろん、その貧困からの脱出困難は彼らの心からも豊かさを奪っている。そこに環境倫理を当てはめた結果、さらに貧困が進む可能性は高い。

 しかし、環境問題、そしてその根本にある人間中心主義や経済至上主義がそういった人々を貧窮に追い込んでいるのは事実だ。紛争地帯の少年兵の写真を君は見た事があるだろう。小さな女の子が今日食べる一欠片のパンを食べる為に売春婦となっているのは今、この瞬間の現実だ。これらは経済を優先したり、自分の都合を優先したりする人間の自分勝手の結果だ。


悔い改めと再解釈

 上で書いたキリスト教への批判。この事実をクリスチャンの友人に話したら「え〜!?」と意外そうな顔をしていた。そんな解釈がありうるはずがない、と。しかし、クリスチャンはそういった指摘に対して耳を傾けるべきだと思うし、クリスチャンの中には傾聴したうえで上の個所を再解釈しようとする動きがあったのである。

 支配、の部分をどう訳すかである。従来の訳は "Dominate / Dominating" だったわけだ。これに対してクリスチャンは新しい訳を考えた。 "Care / Caring" である。前者は服従させるという意味に対して、後者は思いやるという意味がある。どうであれ、クリスチャンは今までの認識を変えていこうとしていった。


クリスチャンとして今後の展望


前提として

 一応、この記事の筆者はクリスチャンだ。なので、私はこの記事をクリスチャンとして書いている。だからといってさして差は無いと思うしそう願いたいが、この記事を鵜呑みにすることは果たして良いのだろうか? この章からは特に僕の考えが入ってくる。つまり、決して鵜呑みにしないでほしい。

 ちなみに、上までの文章は殆ど教科書のまとめと丸写しだ。教科書はちゃんとした会社が出版している本だから割と安心して読めるので、この章よりは鵜呑みにした時のリスクは少ないと思う。


選民意識の変化へ

 聖書の中にイスラエル人という人々がいる。ヘブル(ヘブライ)人とも呼ばれる。彼らには強烈な選民意識があった。自分達は神に選ばれた民だ、という意識。でも、彼らは高ぶり、いつのまにか自分たちを選んでくれた神様から離れた結果、神様によって蝋燭を吹き消すような手軽さで滅ぼされた。ざっと60年ほど前に再び国としてまとまった様だけど、未だ安定しないのは知っての通りだと思う(2010年現在)。

 イスラエル人は確かに選民。しかし、彼らが選ばれたのは何故だろうか? 聖書には以下のように書かれている。

地上の全ての民族はあなたによって祝福される 創世記12:3

事実、キリストの福音はまず、イスラエル人から生じ、全世界に広まった事が使徒言行録に書かれているし、第一、イエス・キリストはイスラエル人として生まれた。イスラエル人から救いの時代は始まったんだ。

 聖書では人間は全ての生き物を支配する者として選び出されている。でも、この選びはどんな意味だろう。僕はイスラエル人が神様によって選びだされたのと同じ、神様は私たち人間を通して全ての生き物を祝福しようとしているのではないか、と思う。


虜を自由にする主

 聖書には解放、というイベントが多く登場する。出エジプトをイメージする人も多いだろうし、士師記はイスラエルが他国に支配されては解放される、という繰り返しの話。でも、聖書で最大の解放は人類がキリストの十字架で罪から解放された、という事だろう。

 しかし、解放されて自由になる、というのは難しい。自由とは何か。経済的ルールから解放されて自由にお金を稼げる、というのは逆に言えば『経済に縛られている』とも言える。お金を集めなければ生きていけない社会だからだ。聖書はそこで次のように語りかけてくる。

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 ガラテヤ人への手紙 5:13より引用

聖書は従来の欲求への自由を肉への束縛と呼び、そこからの解放と自由を宣言する。


悔い改めるキリスト教

 キリスト教が支配を服従させる意味で取った等といった指摘に対して異を唱えるクリスチャンは多くいると思う。だが、その様な指摘に対して、クリスチャンは真摯に応えていくという特権を神様から頂いている。ゆだねられた物を破壊してきた人類の罪を先頭に立って悔い改め、変えられていく事はクリスチャンの特権だ。


その他


参考文献リスト

  • 加藤尚武編 [2005]『環境と倫理[新版]』有斐閣アルマ
  • 新改訳聖書刊行会訳 [2006] 『聖書 注解・索引 チェーン式引照付』 いのちのことば社

この文章について

 この文章は大学授業で履修した "キリスト教環境倫理" の最終課題レポートをブログ記事用に編集して公開した物です。

posted by: しゅんしゅん | クリスチャン的な | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

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